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仙燐眼

仙燐眼

葬式後

父が亡くなり、相続をどのようにしたらいいのか家族会議が行われた
母は全く無頓着だった。
それまで、父一人で、借金についても家計のやりくりを一人でしていたから仕方ないが、
父が亡くなって初めて、誰にも見せない家計の出入を全て明かされたのだ。

丁度、私が司法書士の事務所を休職していたとこだった、
時間を持て余す状態であったし、書類も理解できるということで、
私がその出入やら、
借金の現況を調査するのに適しているということで
この調査に当たることになったのだ。

というか、
私がやるべくことだって、直感で思った。

責任も実は感じていたのかもしれない

父が亡くなる前に
ある程度の貯金が私たちのとこにはあり、
その頃結構裕福であったから、
一度夫に話したことがある。
「ねぇ、これだけ貯金あれば、父の借金がかなり助かるから、
半分でも、父に渡してあげるってできないかなぁ。」
その時の夫の言葉は、
「このお金は俺たちが稼いだものだ、いくらおまえの親が困ってるからってなんで、渡さなきゃぁ、いけないんだーー?ばかやろう」
なんて感じだったと思う。

あ、ダメか・・って諦めた。
ここで、内緒で渡していたら、随分その後は変わっていたろーーにな。

しかしさ、
この「俺たちが稼いだお金」って大きな間違いなのよねぇ。
夫は常に私よりも給料が安かったし
やりくりは私が頑張っていた、
仕事での収入は結婚当初から、はるかに私のが上だったはず。
まーー、夫の親がゆとりある人だったから、
そっちから、夫自身がせびっていた臨時の収入はあったかもしれないけどね。

そんなわけで、
夫が年収、200万の頃は私が400万あったし、
400万の時は私には800万はあったわけよ。
なもんで、
夫は常にあたしには、どっかで頭が上がらない癖に
反抗したいっていう気持ちは大有りだったのね。
分からないわけでもないが、
男の意地ってもんがあったかもねーー。

しかも、
夫本人からすれば、
六大学の中の大卒で、高卒出の私と較べて、
なぜか、仕事ではいつも負けているというのがくやしかったのでしょう。

当の私は、全く何にも気にしていなかった
仕事運がいいのね、って感じなだけ。

父が亡くなり
さて、相続放棄か、
限定承認か、
それとも単純承認か、
迷いながらもいろんな追い討ちがあった。
勝手に父の元友人が売った不動産の税金が滞納になっていて、
国金からの差し押さえも来ていた。
そういいながらも、
他の借金の利息も支払いながら調査をしていかなければいけなかった。

詐欺に遭ったことの裁判の結果も出ていたので
それを元に、トンズラした人間の調査にも乗り出した。

毎日毎日、朝から、あらゆる金融機関の各支店
裁判所、法務局、債権者の会社他、電話かけまくりの日々。

その後
私は数ヶ月で、なんと父の債務を自分の調査だけで、
半分以下に減額できたのです。

おかげで、
なんとか自宅だけは守れました。

全部整理は出来なかったけれど、
でも、やるだけのことは全部したって感じ。
返すところにはきっちりと返し、担保もはずさせたし、
まーー、これなら、なんとかいいか、というとこまでこぎつけた。

この時に、
早く父が私に全て債務額を告知してくれていたら、
命落とすまでもなかったのに、ってつくづく思った。
破産なんてするまでもない額にしぼれたわけです。
生前にちゃんともっと追求して父に聞くべきだった、
と反省したわけです。






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